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ニューヨークで地下鉄ミュージシャンになったきっかけ 1

ニューヨークに旅行行った方は

電車の中にまでストリートミュージシャンがいることに

驚くでしょう。

演奏を普通にする人もいれば、

圧巻なのは、ラジカセで音楽かけてダンスする黒人

かなりアクロバティックな踊りを見られます。

 

ニューヨークについた初日

僕はもともと計画性糞食らえ

というか、そういう入念なことができないので

留学前日は父母と夕飯を食べた後は

朝まで上野で呑んだくれ

そのまんまタクシーに乗って空港へ向かいました

 

ビーサンに短パンで、荷物も極最小限

宿も取っていなければ、住む部屋も決めていません。

「なんとかなる」

と思っていたのです。

 

「なんとかなる」

これは私の座右の銘・・・というか

ただの口癖です。

 

が・・・

 

ニューヨークに着くや、それは

「全くの大誤算!」

であることに気がつきました。

 

まず英語講師だったにもかかわらず(受験・学校補修専門)

「ぜんぜっん、英語がしゃべれない、聞こえない!」

 

とりあえずホテルか、と地球の歩き方

に乗っていたホテルに電話するも

 

あの人たちって、名乗ったらずっと黙っています

こちらが喋るまで。

で、こちらは

「全然英語が口から出てきません」

 

あ、え、う・・・

とこちらはどもり、あっちは無言。

次に何が起こると思いますか?

「切ります」

 

これは本当に焦ったし、困った。

さらに、デトロイト経由できたのですが、

肝心の楽器が届きません。

そもそも、楽器を放り投げるように扱ったり

かなり不安には思っていたのですが、

「来ない!」

というのは想像外でした。

 

それを伝えるには、もう筆談しました。

書いたり読んだり、は結構できたのです。

センターの文法問題なども得意です。

ハナクソほども役に立ちませんでしたが。

 

で、そうこうするうちに、日は暮れてくるし、

宿決まってないし・・・

セントラルパークで寝る羽目になるとか、

絶対にいやだ

 

もう一か八か、空港から出てる相乗りのシャトルバス

みたいので、なんとかホテルまで行ってもらいました。

そこでまた筆談すればいいや

そう思ったのです。

バスを降りるとき、よく覚えてるのが

「迷子になるなよ、少年」

と、言われたことです。

 

少年、ってもう30だったのですが・・・

ホテルにはなんとか泊まれましたが、

結構な値段がする割に、とにかく

なんでも壊れています。

 

テレビをつけるか、とやっていたのは

今思えば

David LettermanのLate show

ほんっとに、なんっっっにもわかりません。

アッパーウエストのマクドナルド

それがアメリカ初の食事でした。

単品頼んだのに、ハンバーガー二個セットみたいの出てきました。

通じてなかったのです。

お茶、と行ったのに、何も入ってないでかいカップを渡され

これが噂の人種差別か、と悲しくなったものです。

まぁ、これは実はあっちは飲み放題なので

自分でマシーンで好きなの入れる訳なのですが。

 

たまたま、独立記念日の花火で

ホテルの屋上からみられたので、

今思えば超特等席なのですが、

はしゃぎまくる外人達に混じりただ一人

二子玉川や隅田川の花火をふと思い出し

なんだか泣けてきました。

 

俺は、完全にアメリカをなめていた。

英語しゃべれると思っていたのに・・・

思い切ってバーに行って

話しかけてみても、

男女問わず思いっきり無視してきます。

たまに優しくしてくれる

そう思うとゲイであったり

そこから三ヶ月は正直、楽しいと思えることはほとんど

なく、体重もかなり落ちました。

 

そこからしかし、半年後には、

地下鉄で現地人達とあの

ストリートパフォーマンスをやるようになりました。

今思い返しても、なかなかできた体験ではなかったと思います。

地下鉄の彼らは貧しい地区から

日銭を稼ぎに来ている人たちで、

「ウチで練習しよーぜ!」

というときは、ニューヨーカーですら行かないという

超危険地帯「サウスブロンクス」でした。

 

英語学習とは関係ありませんが、

でも、海外ってこれくらいエキサイティングだぜ!

というのも、英語学習のモチベーションにもなるのではないでしょうか?

なんて思い・・・って、ただ懐かしいだけですが、

その頃の思い出をちょっと書いてみようかと思います。

今日はNY到着編でした。

 

その1 終わり