ヤギ – Goats (1)


皆さん、こんにちは、M.Mです。

本日は、
私が大好きな動物「ヤギ」 について、お話します。

「ヤギ」と聞くと、スケープゴートなどを思い浮かべるかと思います。

さて、
スケープゴート(scapegoat)の語源をご存知でしょうか!?

スケープゴートとは、
the goat allowed to escape”、
つまり「追放された山羊」という意味で、
聖書が起源となった言葉です。

1年に1度、
人々の犯してきた罪や苦難を
背負わされた2頭のヤギが、
1頭は神への生贄にされ、
もう1頭は荒野に放たれる風習がありました。

この荒野に放たれたヤギのことを
スケープゴート
というのです。

この罪なき2頭のヤギの結末は、
どちらも「」です。

しかしながら、
この2つの「」には、大きな違いがあります。

捧げられるヤギ生贄であるのに対し、
スケープゴートは、荒野へ追放されるのです。

聖書で述べられる荒野とは、
神との対比で登場するので、
悪魔的な存在となります。

生贄」は、「神への生きた礼物」という事ですが、
一方で、
スケープゴート」は、「醜いものは排除する」という意味で、
人間の罪を代わりに負わされ迫害されるのです。

つまり、この2つの「死」の相違は、
供犠」と「迫害」です。

例を用いながら、
更に分かりやすく説明してみましょう。

まず「供犠」ですが、

近代、古代では生贄となったヤギの骨とともに幼児の骨が埋葬されていることが明らかになり、
古代人は、犠牲にする生贄が大切なものであればあるほど、
神が喜ぶと信じていたと分かりました。

自分の子供を犠牲にしたのは、
我が子が最も大切な所有物だったからです。

この事から理解できるように、

基準として考え、
たとえ罪を犯しても、
神が喜ぶ捧げもので、
神の怒りを鎮めようとしたのです。

一方、「迫害」はどうでしょう。

例えば、ナチスによるユダヤ人迫害。
これは言うまでもなく、
わかり易い例だと思います。

不必要な物を排除する。

つまり、人間基準となっています。

両者、同じ命であっても、その命が奪われる時、
それに対する敬意があるかどうかが、
大きな相違点なのです。

ところで、
このスケープゴートという言葉、
または、
スケープゴーティング
(スケープゴートを抹殺する事)という言葉が、
現代に残っていて、使用されていますが、

では、それはなぜでしょうか?!

命ではなくとも、
大切なものを捧げるという意味が
語源の言葉はありません。

私は、ここに人間のエゴ残酷さを
見て伺えます。

つまり、残念ながら、もはや
人間は、自己を中心に位置付けるようになり、
自らを神の地位にまで押し上げ、
超越的に自分たちのためだけに生贄を
要求するようになった
与えてもらうようになった
と言えるでしょう。

自分たちにとって、
不要 且つ 邪悪な物は排除する。

その歪んだ信念が、
スケープゴートという言葉を
根強く残させたのだと思います。

人間は、自分が一番かわいいです。
でも、ほどほどにしないと、
本当に自らの首を締め、
滅びてしまう気さえします。

スケープゴート」、
スケープゴートにされないように、
そして、
スケープゴーティングするような人にならないように、
生きていきたいものですね。

 

本日は、M.Mがお送りしました。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。