「理解できるもの」のInputが鍵


外国語の学習法を見ていると、この

 

「理解できるもの」のInputが鍵、という言葉をよく耳にします。

 

Comprehensive Input(理解できるInput)を外国語習得法を学んでいて聞かないことはなく、その観点からいくと、文法や単語を説明して英文を日本語に訳す、日本語を英語にする、ということはそれには当たらないようです。

 

というのも、理解できるもののInputとは、英語をそのまんま聞いて、または読んで「理解」することだからです。

 

日本語で解説することそのものは、それには当たらないのです。

 

ですから、最初はジェスチャー、顔の表情、絵などをフルに使って外国語を習得するようにする。日本語は使わない。そうすると、自然と、自分でも気がつかないうちにその言語をAcquire(習得)している、というのです。

 

僕はこれが、イマイチ、ピンと来ませんでした。

 

「理解できるもの」のInputというけども、辞書などを使わなければ分からないものは永久にわからないように思いますし、また、文法の知識なくして新聞レベルの英文の意味をとることはほぼ不可能ではないか、と感じていました。

 

これが、最近、ついにわかったのです!

 

早い話、日本式の学習が悪いと言っているわけではないのです。

 

全く分からなかった英文を、文法の知識と辞書を使って意味をとっていくこと自体は決して悪くないのです。

 

それこそ、全く理解できなかったものを、「理解できるもの」にするプロセスです。

 

ただし、そこで終わってしまっていたから間違っていたのです。

 

解析することそのものは、「理解できるもの」のInputではないのです。わからなかったものを、「理解できるもの」にする作業です。

 

この後こそが肝心だったのです。

 

「理解できるもの」になった英語を「大量にInput」する必要があったのです。多くの人はここをすっ飛ばしていたのではないでしょうか?

 

何をしないといけないか、というと、解析したものを何度もなんども聞く、Shadowingする、読む、これを沢山繰り返し、少しずつその量を増やしていく

 

そうすると、英語は確かに出来るようになってきます。

 

僕も、初めて長文問題ができるようになったときは、まさにこれを地道に繰り返しました。

 

意味が取れるようになった(主に予備校で習った後)英文を、家でひたすら音読したのです。先週のも先々週のも、沢山やりました。それをつづける内に、なんとなくただの記号の羅列でしかなかった英文が読めるようになったのです。

 

皆さんも、ここに注意してみてください。

 

解説だけ聞いて終わりになっていませんか?実は、その後のInputこそがKeyだったのです。

 

 

Leon

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