アメリカ留学して結構なカルチャーショックだったのが、そのいい加減さです。
僕はいい加減とよく言われますが、言っときますが、僕なんか几帳面な類です。
どれくらいいい加減なのか、いい本があります。
「ニューヨークの憂鬱ー豊かさと快適さの裏側」 著 長沼秀世 (中公新書)
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これは、NYに住んだことのある日本人ならばかなりうなずく内容なのでしょうか?
特に、著者は日本人的生真面目さがものすごくある方のようなので、かなりNYでは嫌な思いをされたと思います。
でも、あそこに一年も住んでいると、たった10分、遊びのときの約束に遅れるくらいで逐一謝りのメール(あっちではTextと言ってましたが)入れたり、車来てないのに律儀に赤信号が変わるのを待っている自分たちのほうが、世界ではむしろ特異なのではないか?
という気分にもなってきます。
そして、世界の中の特殊的生真面目さが、時に英語習得に悪い影響を与えてしまっているのも事実です。
言語を学ぶ際、意外にも大切なのが心理状態だそうです。
楽しくないと、学ぶ効率も悪いそうです。考えたら、これはかなり自分たち日本人からするとカルチャーショッキングなことではないでしょうか?
私達は、何かを学ぶ際に楽をしてはいけない、耐え忍ばないといけない、と思っていますよね。無意識のうちに。
ところが、そうではないらしいのです。そうして、僕の経験を思い出してみても、ものすごい頑張ってる人って、案外本人はそう苦しんでやってるわけじゃない場合がほとんどです。
つまり、苦痛を感じていては、ものすごく効率が悪いのです。
さて、英語学習の時の苦痛か、それとも楽しんでやれるか、をわけるものが一つあります。
分からないところに注意を払うか、分かるところに注意を払うか
です。
僕たちは、学校教育、受験でとにかく異常なまでの正確さを要求されました。前置詞関連のひっかけも多いもんで、つい外国の語学校に言って前置詞の質問をしまくって、あっちの先生に嫌な顔をされる…のも、ひとえにこのせいだと思います。
昨日も、高校生の生徒さんの学校の教材を見せてもらいましたが、まぁ、細かい!
そのおかげで、僕達はすみからすみまで理解できないと、なんか気持ちが悪いのです。
だから、英語しゃべれる?と聞かれて、しゃべれます!
と堂々と言う人は、まぁ、日本人では3%もいないでしょうし(日本生まれ日本育ちで)、しゃべれますよ!なんて言う人は、恐らくあんまり友達がいないのでは?(笑)
ところが、分からないところに注意がいってしまう、全部分かろうとする、という生真面目さは外国語習得にはマイナスだ、とは海外ではよく言われているところです。
それが皆さんを苦痛にしてしまうのです。ああ、英語ってめんどくせー。から、なんで日本来といてあいつら堂々と英語で話してくるんだ!なんてことまで言いたくなるのです。
本当に皆さんはしゃべれないのでしょうか?
分かるところかき集めてなんとか類推する、間違ってても全然気にしない。とりあえず通じりゃいいや!
こういう姿勢がものすごく大切ですし、もっと楽しんでリラックスして英語初心者のうちからもうカタコトの英語をツールとして「使って」しまうのです。
もちろん、分かります。
これは僕達日本人には難しいところです。実際なんもわかんないときもありますよね。でも、いいじゃないですか、別に。分かる時もあるんだから。
そう、このいい加減さが外国語学習には本当に大切なのです。
気にしないことです。だって、こっちは漢字もひらがなもカタカナも扱えるんですから、別に英語わかんないくらいで落ち込む必要はありません。
もっと気楽に、マイナスを数えるのではなく、プラスにだけ目を向けるくらいにしたほうが、結果として楽しくリラックスした分、英会話は効率的に伸びていくのです!
Leon