日本の英語教育は意味なかったか?


教室の近所に古本屋。。。というか、もはや古文書店のような店があり、そこのカートに放り込まれた文庫本がとても安いです。汚いですが、別に本なんか読めればいいと僕は思っているのでよく行きます。

 

そこで、とても面白い本をみつけました。僕の生まれるより前の本です。

 

「英語教育大論争」 著者 平泉渉 + 渡部昇一  (文春文庫)

 

こうしてみると共著のようですが、ちがいます。思いっきりバトルをしています。しかも、結構相手を罵倒したり、苛立ってる風もみえるエキサイティングなバトルでそこもとても面白いです(笑)

 

簡単に言うと、

 

「文法にそって、辞書を使い、完璧に正確に日本語訳していく従来の日本の英語教育は素晴らしい」

 

VS

 

「そんな教育は失敗とわかっている。誰もしゃべれないし、読めもしなければ書けもしない。英語教育なんか義務教育から廃止し、希望者5%に本当のコミュニケーションのための英才教育をすべき」

 

という両者の意見の対立でした。

 

 

今となっては、文法訳読方式と言われる、英文を品詞分解して辞書もつかって完璧に訳しつつ読んでいく、という方法は

 

「古い」

 

というのは、もう定番になっています。なぜなら、それでは全く使い物になる語学力が付かないからです。

 

しゃべれないのはもちろん、実は読んだり書いたりも実用レベルには到底及ばない・・・。

 

 

 

とはいえ、本当に意味ないのか?

 

という点は僕も疑問に感じています。

 

一つ間違いないのは、たどたどしくても、そうはいっても受験英語をしっかりやってきた生徒さんは、どう考えても

 

「なんとかしゃべっている」

 

のです。基礎もできていますし、明らかにその学習をしなかった方よりも英語がしゃべれていますし、また、後はスピードをつける、もう少し日常的に自然な語彙を身に付ける、これだけで、英語はどんどん伸びていくのです。

 

逆に、そこが曖昧なのに、ものすごく英語がうまくなった人を見たことがありません。子供の頃から住んでいた、という方を除いて。全く話せない人からみたら、一見うまく見えるけども、実際は全然大したことはなく、それより上へはまず行けないものです。

 

そう考えると、

 

英文をしっかり品詞分解できて、辞書をひきつつでも「正確に」訳す

 

能力も、実は結構、外国語習得には必要なのではないでしょうか?

 

なんとなく、世界の趨勢は、そんなことどうでもいいから、慣れろ!イメージしろ!という方向ですが、考えたら、フランス人、オランダ人、イタリア人にとって英語は、遠い「方言」だからそれが可能なのではないでしょうか?もしくは、植民地だった国にとって。

 

日本人になどにしたら、はっきり言って英語なんかはもう「宇宙語」です。違いすぎる。

 

僕は、やはり品詞分解して英語を辞書さえあれば正確に訳せる能力は必要だと思っていますし、それが「基礎」ではないでしょうか?

 

基礎がなければ必ず、ある程度以上にいったら壁にあたって、それはずっと超えられません。

 

ですから、基礎は大切だといいたいですし、その基礎とはやっぱり受験でやった英語だと思います。あのも、ちゃんとやったらバカにはならないですしね。

 

Leon

 

 

 

 

 

 

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