今日、近所のTully’s cafeで事務作業をしていると、外国人3人組が隣に座りました。
そのうちの一人は、日本人なことに気がついたのです。
でも、本人に聞いたわけではありませんが、彼はほぼ間違いなく「日系アメリカ人」だと思いました。
そんな時、ふと思ったのです。
一体、何をもって人は○○人って区別したりしているんだろう、と。
見た目や、人種は僕と全く一緒なのでしょうが、彼が僕と同じ「日本人」とは全く思えません。立ち居振る舞いもなんとなく違いますし、着ている洋服もどことなく日本人と違います。本当かどうか、あるアメリカ人にバカにされたのですが、肩からかけるバッグは男はしないもので、普通リュックだそうです。僕はリュックってちょっと・・・、と思ってしまうのですが。
もちろん、彼もリュックでした。
そんな時、こんな言葉を思い出しました。
「祖国は母国語に宿る」
最後の授業、だったか、そんな小説にあったように思います。違ったらごめんなさい。
僕の母国語は間違いなく日本語です。彼はアメリカ英語でしょう。
そして、彼はアメリカ人で、僕は日本人なのです。
だから何だ、ですが、なんか面白いなぁ、と思い・・・。
日系アメリカ人を見ていると、ものすごくふてぶてしく見えます。そして、当たり前ですが、英語がめっちゃうまい。漢字は苦手。筋肉ムキムキ。
なんか本当、アメリカ人の日本人、って感じですよね。
昔、NYにいたとき、もしもここの人間全員が日本語をしゃべったら、一体どんな世界なのか、と想像してみたことがあります。まず敬語はありませんし(ほとんど)、なんていうか、こんなにも気を使い合う文化じゃありません。礼儀だなんだもうるさくないし、年上を敬う、なんてことも、まぁ、だって、先生にだってファーストネームですからね。大学教授にヨっちゃんさぁ、ここちょっとイミわかんないんだけど、おしえて?って足くんでガム噛みながら言うようなものです。
と、その時気がついたのが、あ、
宇多田ヒカルだ!
ということです。
宇多田ヒカルが出てきたばっかのとき、彼女はテレビでかなり浮いたのです。敬語使わないわ、なんかふてぶてしくて、というか、先輩方がいっぱいいる中で腰の低い感じもないし、どことなく仕草もやたら敬礼したり、すごい違和感を皆感じたはずです。事実、叩かれました。テレビに出さなきゃよかったのに、とテリー伊藤も言っていました。
でも、彼女こそが、「日本語を話すアメリカ人」だったわけです。見た目が完璧に日本人なので、私達リアル日本人は違和感を感じただけなのです。
彼女のパスポートがたとえ日本人でも、彼女は「アメリカ人」なのです。まこと、
祖国は母国語に宿る
ですね。
Leon