なぜ怠け者の校長が英語はある程度はなんとかなったのか。


自分は、本当に怠け者です。

 

子供の頃よりそうでした。それに物忘れがひどく、小学校の教室に当時貼りだされた忘れ物多い人ランキング(今こんなことやったら非難轟々なんでしょうね、笑)ダントツで一位でした。

 

何かを成し遂げよう、と思ったら、目標を立てる、それに向けての計画を立てて、あとは淡々とこなすだけ。微調整しながら。

 

それはもう、よくわかっているのですが、その

 

淡々とこなす

 

が、出来ません。受験に散々失敗したのも、要はそこだったように思います。

 

今でも目標は沢山あり、ああしたい、こうしたい、というのがいくつもありつつ、にも関わらず、この自分の「怠け者」度&つい誘惑に負けて飲みに行ってしまいうやむやに・・・、の繰り返しです。なんでそうなるのか、ほとほと自分に嫌気がさすこと度々です。

 

言ってしまえば、日々そことの戦いなのですが、ふと、思ったのが、なんでそんな自分が英語はある程度なんとかなったのか、ということです。

 

英語こそ、コツコツが最大の武器です。というか、それなしに、しゃべれるようになることなんか不可能でしょう。留学したからだろう、というのは絶対に関係ないと思います。1年だけですし、すでに30でしたし、また、NY長くいるのに全然英語うまくならない人を山ほど見ています。ある意味一番英語に苦労しているのって、実は海外にいる日本人なのではないでしょうか?

 

・・・・、そして気がついたのです。

 

逆説的な話になるかもしれませんが、意識として僕は大して頑張った記憶が無いのです。

 

僕英語頑張ってます!

 

と思ったことが、そういえばありません。あえて言うならば最後の受験の時なのですが、さすがに切羽詰まったのでやらざるを得ず、その時に基礎は超えてしまったから、じゃないのかなぁ、なんて少し思います。

 

語学って、基礎的な構造さえつかんでしまえば、後はなんとかなってしまうものです。逆に基礎があやふやだと、いつまでたっても、なんかイマイチ雲をつかむようで頑張ってんのに伸びない、何でだ・・・、といわゆる「英語難民」になってしまうのです。

 

話せないんです、と言う方は多いのですが、よく見てみて、その「基礎」を掴んでいる方に関しては、後はスピードをつける練習をするだけなのです。更にいうなら、そういう方は本人は出来ないと思っていても、はたからみれば「しゃべってんじゃん」と言う場合が本当に多いです。これを見る度に、日本人ほど謙虚な民族(後ろ向きともいえる?)はいないんじゃないか、と思います。

 

とにかく、基礎さえつけてしまえば、後は本当に、そんなに苦ではないのです。

 

なので、僕としてはそんなに苦痛を感じることなく、英会話の学習が出来るので、いつの間にか「習慣化」し、当たり前に英会話の自主トレを「続けられる」ようになったのではないでしょうか?

 

基礎さえ身につければ、後は辞書なんか使わなくたって好きな本を読んでるだけ、映画を見てるだけ、ラジオ聞いてるだけ、そんだけだって伸びますし(パン屋メソッド2・聞き流しにあたる)、Shadowingしてみっか、と思っても10分でも十分集中すれば効果を実感出来ますし(パン屋メソッド1・Shadowing)、外人と六本木界隈遊び歩いてるだけでも(パン屋メソッド3・外人と遊ぶ)しゃべれるようになるのです。

 

そして、その基礎は、日本語で習ってしまった方が早いと思いますし、僕はそこを「受験」という切羽つまった状況のせいで四の五の言わずにやらざるを得ず、乗り切ることが出来ました。

 

この比較的つまらない「基礎」をなにか、そういう自分を追い込むもので超えられるといいと思いますし、また、英会話教室に通う、というのも一つの「動機」になるのではないでしょうか?

 

ただし、闇雲に英語話してる(気になってる)だけではダメです。しつこいですが、まずは基礎です。これは間違いないので、まずはそこを超えるよう、目標設定して一歩ずつ着実に前進していくといいと思います。

 

 

 

Leon

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