やはり改めて、ネイティブを目指す必要はなし


先日、土曜日の授業後、生徒さんたちとDaniel先生おすすめの場所に行ってきました。

 

浅草にあるInfinity Books & Cafeというところで、本屋さん(洋書)とCafe(といいつつ、皆ビール飲んでました)がくっついた社交の場でもあるところで、外国人だらけですし、完全にそこだけ日本では無い空間です。

 

Facebookページがあるので良かったらCheckしてみて下さい。

 

→ https://www.facebook.com/InfinityBooksJapan

 

オンラインで洋書の販売もしているようです。とにかくあんなに沢山の洋書に囲まれたことは、ほとんど日本ではありませんし、そこに色んな国の人が集まって先日は何やらフォークソングのようなものを演奏していました。そんな空間はあまり見つけられませんよね。

 

さて、そこで色んな本や英語ネイティブ達の有名な本の話をDanielから聞いているときに、実に自分が英語圏の本、著者を知らないのか、思い知らされました。逆に、Danielは京大で西洋の哲学が日本でどのように受け入れられたのか、研究したくらいですので、旧仮名遣いの難しい日本の本までを原書で読めます。

 

僕とは大違いのインテリなんだなぁ、と感心し、彼の日本語にはほれぼれさせられるものを改めて感じました。本当に上手いです。

 

ただ、その時ふと思ったのです。未だにDanielは教室に来るときは、日本のポッドキャストラジオを聞きながら来ます。そうして努力を辞めない男なのですが、とはいえです。

 

「ネイティブレベルかどうか」

 

と言ったら、そこまでしても、その辺のヤンキーのほうが一発でこの人は日本人だな、とわかる日本語を「自然に」話すでしょう。

 

ネイティブかどうか、ということは、「自然に聞こえるかどうか」なのです。

 

Danielの日本語を聞けば、すぐに外国人の日本語だ、と気がつくでしょう。つまり、

 

ネイティブ

 

ではないのです。

 

じゃぁ、その辺のヤンキーの方がDanielより偉いのか、頭いいのか、と言ったら、それほどナンセンスな話はないのではないでしょうか?

 

だって、日本語なんか、日本に生まれ育てば誰でも「自然に」つまり「ネイティブ・レベル」で話せるではないですか。偉くもなんともない。それを鼻にかけるほど滑稽なことはないでしょう。

 

こんな明白なことが、こと「英語」となるとどうでしょう?僕らはあまりに「ネイティブ」に憧れすぎているのではないでしょうか?また、一部のアメリカ人もその「自然ではない」「ネイティブではない」英語を見下す傾向があるのも事実です。

 

なんというのか、日本人って、日本人が英語(特に有名人)を話している姿に、すごく

 

意地悪

 

ではないでしょうか?

 

あんな言い方はしない、発音が下手、日本語英語話しすぎ云々。

 

実にくだらないことだと思います。

 

 

英語は通じればいいんですよ。

 

なんていいつつ、昨日、なんというか、外見的にはイケメンとは正反対にあるであろうアジア人男が、あれは完璧にアメリカ出身なのでしょう。ものすごく自然に英語話しているのをみて、なんで英語うまいとちょっとかっこ良く見えるんだろう、と思ってしまったくらいです。

 

僕だって、英語に対する劣等感というか、変なコンプレックスは、やっぱりあるんですよ(笑)

 

Leon

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